2015年4月20日月曜日

9.嫌いな人の幸せの為に祈ってあげる

蓮の花は、泥沼の中で育ちますが、
つぼみの中は何にも触れられずに、無垢のまま美しく育ちます。
蓮の葉は、完全に水をはじき、泥水に触れらることがありません。


負の連鎖を断ち切る簡単で確実な方法


自分を傷つけた人、

自分に敵意を持っている人、

自分の平和を脅かしそうな人、


でも、共存していかなければならない人、


そんな人がいたら、あれこれ心労する前に、

まず一番に、その人の幸せの為に祈ってあげるのが、

負の連鎖を断ち切り、平和に共存する為の賢い方法です。

正しい機会があれば、その人に自分が祈っている旨を伝えることも良いことです。



自分自身や自分の親しい人、そして一般的に皆の為に祈るのは難しいことではありませんが、

嫌いな人の為に祈るって?

と思う人もいるかもしれませんが、

これは道理に適っていて、平和的共存にとても有効な手段です。



周りの人間や動植物に危害を与えようとする人というものは、

一様に「幸せでない人」です。

だから最初は、その人が幸せになって、そして周りに危害を与えなくなるように、

祈ってあげればよいのです。



悲しみや怒りを感じられる自分を、誇りとする


人間関係の悩みにはきりがありません。

全うで理に適った背景があるなら、

誰かに関して悲しみや怒りを覚えることは悪いことではありません。

悲しむべき事を悲しいと感じられ、怒るべき事に怒りを感じられる、

そんな繊細な感性を持った自分を、誇りに思っても良いくらいです。


誰かの成功や優れた点をみて、嫌な気持ちになっている自分がいたら、

嫉妬してる自分も可愛いけど、自分はもっと大きい存在なんだ、という教えを

もっと深く理解する必要性を見出さなくてはいけません。


自分がいかに大きいか、という知識を知る必要性


大国の大統領でも、大企業のCEOでも、誰だって、その人の世界観は、

「自分 VS 世界」です。

勝ち目は到底無いくらい、「自分」とは小さな存在です。

普通の一般人として生きていたら尚更、「自分」とは、取るに足らない位、

統計に数えられているのかも分からないくらい、小さくて儚い存在です。

意地悪をされたり、裏切られたり、悪口をいわれたり、

良い意見を持ってもらえなかったり、無視されたり、

他者からの反応に多大に左右してしまう、そんな小さくて儚い存在です。


ヴェーダの文献は教えます。

「あなたとは宇宙と違わない存在なのですよ。」

「あなた自身の存在は、その小さな身体や心ではないのですよ。」

「あなたこそが、宇宙に存在を与えている、無限の存在なのですよ」

これらの教えは、信じる為の教えではありません。

理解する為の教えです。

伝統を知っている先生なら、きちんと、論理的に、丁寧に教えてくれるはずです。

伝えるべきことが伝わっている、だからこそ「伝統」なのです。

伝統を重んじないヴェーダーンタや、大学の講義では、

「伝統」の知識は教えられていません。


自分の存在について、知れば知るほど、周りの意見など取るに足らなくなってきます。

無知にまみれた周りの人達が、自分をどう思い、どう扱うかよりも、

自分が自分をどう理解し、自分と周りをどう扱うか、が重要なのです。


祈りの習慣


自分の為、自分の周りの人の為に祈ることはとても簡単です。

知らない人も含めて、皆の為に毎日祈ることも、難しいことではありません。

自分の幸せと皆の幸せを、日常的に祈る習慣があれば、

嫌いな人や敵対する人に祈ることは、皆の幸せへの祈りの延長なので、

難しいことではありません。

嫌なことがあった時、加害者の事をずっと考えてしまって、

長い時間心を乱されることは、健康な人間によくあることです。

心を乱されている時間のかわりに、その人の幸せを祈ることが出来ます。


被害者からウェル・ウィッシャー(その人の幸せを祈る人)への成長


祈っているうちに、その人が嫌なことをしてしまうバックグラウンドに同情し、

自分が加害者から、ウェル・ウィッシャー(幸せを祈る人)という大きな立場へと育ちます。

特に、自分が傷ついたことに関して、どうしても解決しない感情こそ、

傷つけた人に対して、幸せを祈ってあげることが、自分の中の状況の展開を生みます。


まずは、自分自身が「私は幸せになりたい!」ときっちり認識することが一番大切です。

「その為に何がどうなればOKなのか」という点をはっきりさせようとする習慣も必要です。



賢く生きる方法としてのスペース


自分の心を乱す人達からは、

物理的・精神的距離を充分置くのが、賢い生き方です。

そんな人達だって、誰だって、幸せに生きる権利はあります。

この世には広い広いスペースがあるのですから、

彼らには彼らのスペースを与えて、自分には自分のスペースを与えるのです。

他の人の意見や行動が、自分の平和に影響を与えていることを許しているのは

自分に他ならないのですから、何よりも、精神的なスペースをとること、

つまり精神的に自立することを学ぶしかありません。


その人が家族や会社、地域の一員である場合でも、

あからさまでも構わないので、スペースを置くことは出来ます。

問われたら、「自分には距離が必要」と言って分かってもらえる場合もあります。


しかし、常に顔を合わして共存していかないといけない場合は、

毎日その人の為に祈る習慣をつけるのが良いでしょう。

機会があれば、その人の幸せを祈っていることを優しく伝えるのも良いでしょう。


自分の為に祈ってくれている人に対して、悪く思う人はいません。

別に大の仲良しにならなくとも、互いに乱さずに、心地の良い距離を保てば良いのです。

その為にも、相手に対して祈る、という行為はとても有効です。

家内安全、快適な職場作り、そして世界平和も、

まずは相手に対して幸せを祈ることから始まります。

負の連鎖が続きそうな時こそ、「相手の幸せを祈る」ことが状況を打破させるのです。



追記:

感情は意識的に変えたりすることは出来ません。

その上、感情をコントロールしたり追いやったりするのはとても不健康です。

しかし、感情をどう表現するかは、意識して選択することが出来ます。

「相手の幸せを祈る」といった、有効な感情の表現の仕方、

「相手や自分を傷つける思想にふけり、その言動とをる」といった、

余計に状況を悪くして、負の連鎖を起こす感情の表現の仕方、

それぞれをよく知り、意識的に選択し、うまく表現する習慣を身につけるのは、

自分の精神的成長にとても役立ちます。


感情を否定したり、コントロールしようとするのは、

精神的に不健康なので、絶対にお勧めしません。

全ての感情はプラサーダム(授かり物)です。

感情に「ネガティブ」と名づけて自己嫌悪になったり、

「ポジティブ」と名づけて現実と直面出来なくなったりするのは、

最近の無責任なスピリチュアルな教えの結果です。



<< 祈りのステップ 目次へ <<

祈りは誰にでも出来る、願いを表現する行為です。

祈りに関する疑問に答えながら、祈りという行為について、
ステップごとに解説します。



関連記事:プージャスワミジが話してくれた、「サルヴェー バヴァントゥ スキナハ」の意味


アヒムサー(अहिंसा [ahiṃsā])について







サンスクリットの表記文字を勉強するのにも、良い学習教材が無い!
と常日頃思っていたので、自分で作りました。



     ・ ひとつひとつの音について、発音の口の動かし方の説明
     ・ 音の一覧表
     ・ 複合子音の発音と表記
     ・ ヴィサルガの発音
     ・ アヌッスヴァーラの発音
     ・ 用語一覧





   
 祈りの理論&サンスクリット語の祈りのことば

 ヴェーダーンタやサンスクリット語に興味を持たれたて来た方が、
 まず一番に習うプレーヤー(祈りの句)を、学び易いレイアウトで
 まとめました。

 さらに、「祈りって何?」「誰に祈るの?」
「神様を信じる必要はある?」といった、
 祈りの疑問に関しても、現代人の腑にすっきり落ちるよう、
 全て理論的に答えています。



サンスクリット語やヴェーダーンタを、より多くの人に、
わかりやすく説明した本を多数発行しています。

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