自分の幸せを願うことは、後ろめたい事ではない
私達は皆誰でも、幸せでいたいと常に願っています。
ここで大事なことは、「自分が幸せになりたい」と願う事は、良い事だということです。
自分勝手なことではありません。
もし、そう感じるなら、それは、
「自分の幸せは、周りの人間の負担に頼っている」
「自分の幸せは、動植物や環境を傷つける事につながる」
という考えているからかも知れません。
こっちがプラスなら、あっちがマイナス。あっちがプラスなら、こっちがマイナス。
というのが資本主義社会的な考えです。
幸せとは?
しかし、「自分の幸せ」についてよくよく考えてみると、
自分の周りの人が幸せであってこそ、私も幸せでいられるのです。
動植物が安心して生き続け、環境が機能しているからこそ、私も幸せでいられるのです。
自分の幸せには、周りの幸せが大きく関わっているのです。
これは、単なる綺麗事で言っているのではありません。
事実としてしっかり認識されるべきです。
自分の幸せとは身勝手なことなのか?
極端な例ですが、世界全体が飢餓に苦しんでいる時に、
飢え死にしそうな人間や動物達に囲まれながら、
「自分のところだけに食糧がいっぱいあって幸せ」なんて言える人はいません。
自分自身が飢え死にする不安から、周りの人と食糧を分けあう事が出来無い人でも、
「周りの人にも食糧があればいいのに」と願うはずです。
「自分が傷ついたり苦しんだりするのは嫌だ」という知識はどんな生き物でも持っています。
しかし、「他の生き物も、自分と同じように、傷ついたり苦しんだりするのを嫌がる」
という知識もしっかり持っているのが人間です。
だから、他者の痛みが見えてしまって、自分も心地悪くなるのです。
しかし、他者の痛みに対して無関心でいられる人もいます。
それは、その人が生きていくのに精一杯で、
周りに思いやりを持てる余裕の無さを表しているのです。
いくら物質的に恵まれていても、自分が恵まれている、満たされている、と認識出来るまでは、
どんな王様でも億万長者でも、生存に必死な幼子と同じ心理で生きているのです。
自分の幸せの為には、自分の幸せを願うべき
他者が幸せなのを見て、嫉妬に苛まされたり、
「自分はあんな風に幸せになれない」と落ち込んだりしてしまう。
また、他者の不幸を、不幸せな自分の慰めとして捉える心理も人間にはあります。
それらは全て、自分が幸せに満たされていない証拠です。
そのような場合に願うべきは、「自分が幸せ」であって、「他人の不幸」ではありません。
いくら他人が不幸になっても、それで気分がましになるような不幸な自分は、不幸なままです。
「自分が幸せになりたいのだ」と、しっかり認識し、願う必要があります。
自分の幸せの為には、自分の幸せを願うべきです。
自分の幸せの為に、他人の不幸を願うのはお門違いです。それは自分の幸せに貢献しません。
自分は幸せになりたいのだとしっかり認める
まずは「自分が幸せになりたい」という事実をしっかり認めたら、
自分の幸せは、周りの幸せから独立したものではない、という事実もおのずと見えてきます。
だから、全ての人間や動植物の平和の為に、心の底からすんなりと祈ることが出来るのです。
「私は息子の幸せの為に、自分を犠牲にしている。自分の幸せなんてどうでもいい」
という人がいます。
しかしそれは、息子の幸せを、幸せに思う自分があってのことです。
結局は自分が幸せになりたいから、息子の幸せを願っているのです。
人の幸せを自分の幸せと感じられる事は、素晴らしい事です。
それは、人間としての心の大きさを表しています。
そんな大きな心を持った自分にお祝いをしてあげながら、息子の幸せを祈る事が出来た時、
その人の息子に対する愛情は、
束縛、見返りの期待、それが裏切られた時の怒り悲しみ等から、少しずつ解放されます。
他への祈りが、自分の幸せを成長させる
他者の幸せを祈る事は、自分の心の大きさを広げてくれます。
世界との関わりあい方のモデルが「自分 VS(対) 周りの環境」である時、
常に周囲を操作し、戦い続け、心の平穏はなかなか見つかりません。
他者の幸せを祈るという行為は、自分の心を大きくしてくれます。
幸せを願える相手が、息子だけでなく、親戚、より広がって、地域、社会、
そして、生き物全体の幸せを祈る事の出来る人は、心の大きい人です。
幸せの成長とは
心が大きくなるとは、どのような事でしょうか。
心が大きくなると、何か自分にいいことがあるのでしょうか。
心が大きくなればなるほど、小さなことに煩わされなくなります。
小さなことに煩わされない、とはつまり、より平穏な心であり、それを幸せと呼ぶのです。
昔は、みんながもらえている風船がもらえなかった事が大事件でした。
今は、風船を作るおじさんが来ても、子供の群れに飛び込んで手を伸ばしたりしません。
もし風船が自分のところに来たら、まわりの子供にあげるでしょう。
それは、風船よりも大きな自分に成長した証拠です。
風船よりは大きくなったけど、他のものではどうでしょうか。
自分を苦しめるもの、がっかりさせるもの、怖がらせるもの、不安にさせるもの、
それらよりも、自分は大きいんだという事実に気づかせてくれるのが、
全ての人や生き物の幸せを祈る行為です。
皆の為に祈るという実用性
「人類全て」にはもちろん、自分が含まれています。
全ての人と生き物の幸せを祈る時、自分の体と心を含めるのを忘れてはなりません。
そのような祈りが、周りの幸せと自分の幸せがコンフリクト(衝突)しない心のあり方を
作ってくれるからです。
本人が気づいているかどうかに関わらず、
周りとのコンフリクトを起こす、つまり周囲に痛みを与える行動をしている人は、
常に不安で、心に平穏がありません。
なぜかと言うと、そのような行動を選択していると言う事は、
その人の心の小ささ、未熟さを表しているからです。
小さくて未熟な心は、不安と不信、不満でいっぱいです。
環境と調和して、自分の体や心も含めた全てのものに対して、
与える痛みを最小限にする努力をし、与える幸せを最大にしようとしている人の心は、
大きく、小さなことでアップ&ダウンせず、平穏です。
幸福感や満たされた感覚とは、平穏な心の中にのみ宿るのです。
祈りが自分に与える影響
祈るという行為は、その人の行動基準に影響を与えます。
行動に選択がある場合、周りとのコンフリクトがより少ない行動を選ぶようになるでしょう。
全ての幸せを祈り続けている人は、自分の選択が、
選択範囲内でベストであったと、はっきり認識できます。
それゆえに、自分の選択に対して、心の平穏があります。
また、後の結果を、グレースフル(優雅)に受け入れる準備も出来ます。
サルヴェー バヴァントゥ、、
全ての人や動植物の幸せを祈る為の、サンスクリット語のプレーヤー(祈り)があります。「全ての人が幸せになりますように。
全ての人が病気になりませんように。
全ての人が良い物を見ますように。
いかなる人も、苦しみを持ちませんように。」
祈った後に、本当に祈りが効いたか、周りを見渡して、やっぱり状況は変わってない、
とがっかりする必要はありません。
まず、自分の心のあり方が変わるのです。
よりコンフリクトのない、より大きく、より平穏で、より幸せな心を持たせてくれます。
そんな、満たされて余裕のある心は、より客観的な考えを育ててくれます。
また、周りの幸せに貢献出来る行動を生み出してくれます。
祈りは必ず結果を生む
さらに、祈りというものは、結果を生む行為です。
どんなに微小でも、祈りという行為の結果は、何時かしら結果を必ず生むのです。
手を叩けば音が鳴るように。
<< 3.「祈り」に必要な客観性 ― 目的達成の為の2つの要因 <<
>> 5.神様とは? 信じるか信じないかを決める前に、神様の定義をはっきりさせましょう。 >>
目次へ戻る>>