विष्णुसहस्रनामस्तोत्रम् [viṣṇusahasranāmastotram]
ヴィシュヌ・サハッスラ・ナーマ・ストートラムとは
ヴィシュヌ神の1000の名前を、
108のシュローカにまとめたストートラムです。
北インドでも南インドでも、インド全国で広く愛されているストートラムです。
こちらのアシュラムでも、プージャスワミジの健康を祈って、
持続の象徴であるヴィシュヌのストートラムを毎晩チャンティングしています。
また、エーカーダシーの日にもお勧めです。
発音が難しいストートラムですが、聞くだけでも効果があります。
こちらのアシュラムでも、プージャスワミジの健康を祈って、
持続の象徴であるヴィシュヌのストートラムを毎晩チャンティングしています。
また、エーカーダシーの日にもお勧めです。
発音が難しいストートラムですが、聞くだけでも効果があります。
どうして1000もの名前が一人の神様にあるの?
なぜなら、「神様」というものに対する勘違いが、1000も、
というよりは、数え切れないほど沢山あるからです。
全てはひとつのバガヴァーン
ヴィシュヌも、シヴァも、ドゥルガーも、ガネーシャも、
全ての神々は、一つのバガヴァーンの現われです。
この宇宙そのものが、あなたの身体と心も含めて、
一つのバガヴァーンの現われなのです。
このバガヴァーンを正しく理解する為に1000もの名前を使って
教えてくれているのが、ヴィシュヌ・サハッスラ・ナーマ・ストートラムなのです。
逆に言うと、このようにわざわざ教えられるということは、
この宇宙全体について、そして自分達がどう宇宙と関わっているのか、
ということについて無知があるということです。
私達は、誰かと関係を深めるとき、その人について知ろうとします。
その人について知れば知るほど、その人とどういう関係を結ぶべきなのかがわかり、
そして、良い関係が深まります。
隣に住んでいて、毎日顔をあわせているけど、素性をぜんぜん知らない人がいたとします。
知らないうちは挨拶程度だったけれども、
何かのきっかけでその人のことを知ることになりました。
実はその人は大資産家で、世界中、いや宇宙中の富と資源の持ち主だった。
「ヴィシュワ(विश्वम् [viśvam])1番目の名前」
「ラクシュミーヴァーン(लक्ष्मीवान् [lakṣmīvān])361番目の名前」
そんな人とは良い関係を保って、お願いを聞いてもらったり、
悩みを聞いてもらったりもしたいですね。
その方法が「祈り」です。
バガヴァーンは「全て」なので、あなたの祈りはバガヴァーンの表れでもあるのです。
地球が軌道に沿って回っている。水は100度で沸騰し、0度で凍る。
私は愛されると嬉しいし、けなされると悲しい。
これらの物理学的、生理学的、心理学的といった全ての法則の知識は、
全てバガヴァーンのものであり、寸分の狂いも無く、ただ現れ続けます。
「サルヴァッニャ(सर्वज्ञः [sarvajñaḥ])453番目の名前」
祈り続け、もっと知り続けると、
あなたとバガヴァーンの間の距離が0(ゼロ)であることに気付きます。
「ヴィシュヌ、あまねく浸透する者(विष्णुः [viṣṇuḥ])2番目の名前」
頼りになるもの、安心させてくれるものとは何でしょうか。
お金、人間、会社、政府、権力、、、
それらは、あればあるだけの便利性と安心を与えてくれます。
しかし、それらには全て限界があるということも知っています。
もしそれらが100%頼りになるものだと信じていたとしても、
遅かれ早かれ、それらの限界を思い知らされる出来事に見舞われます。
人生と言うものは、そういう教訓を与えてくれます。
それを教訓と受け止めずに同じ失敗を繰り返すのも人間ですが。
お金も人間も、全てには限度があります。
1万円のお金は、1万円分は頼りになりますが、10万円分の頼りにはなりません。
1人の人間は、その人の優しさ分だけは頼りになりますが、
スーパーマン分の頼りにはなりません。その人だって誰かを頼りにしているのです。
限界のあるものに、100%寄りかかろうとするのは、
発泡スチロールで出来た柱に全体重をかけて寄りかかっているのと同じです。
しかし、何かを頼りにして、安心出来る支えがないと、
私達は精神的に健康に生きていけません。
お金でも人間でも何でも、頼れるものには頼るべきだけれども、
それぞれの限界をきちんと知っておく。
お金はそれ以上でもそれ以下でもない。
人間もそう。
その限界を作っているのは?
お金がお金であるという、原理とその知識。
とても複雑に出来ていて、それゆえに限界だらけの人間の身体と心。
それは生物学的、心理学的知識の塊です。
人間や社会に絶対確実性を求めることは出来ません。
しかし、この不確実性を作っている、あらゆる法則の集まりである全知識は、
絶対確実性のもとに作用しています。
手から離れたりんごが絶対確実に落下するように。
この絶対不確実な法則の全知識「サルヴァッニャ(453番目の名前)」が、
バガヴァーンなのです。
このようにして、バガヴァーンというものは認識するものなのです。
幾多の神々の幾多の姿、サンスクリット語の幾多の名前、
それらはひとつひとつには全て、説明すれば終わりが無いほどの知識が詰まっています。
それを紐解き、意味を深めるのが祈りのある生活です。
ただただ迷信的に偶像を崇拝しているのでは無いのですよ。
祈りのステップの目次 >>
教えてくれているのが、ヴィシュヌ・サハッスラ・ナーマ・ストートラムなのです。
逆に言うと、このようにわざわざ教えられるということは、
この宇宙全体について、そして自分達がどう宇宙と関わっているのか、
ということについて無知があるということです。
なぜバガヴァーンについて知ろうとするのか?
私達は、誰かと関係を深めるとき、その人について知ろうとします。
その人について知れば知るほど、その人とどういう関係を結ぶべきなのかがわかり、
そして、良い関係が深まります。
隣に住んでいて、毎日顔をあわせているけど、素性をぜんぜん知らない人がいたとします。
知らないうちは挨拶程度だったけれども、
何かのきっかけでその人のことを知ることになりました。
実はその人は大資産家で、世界中、いや宇宙中の富と資源の持ち主だった。
「ヴィシュワ(विश्वम् [viśvam])1番目の名前」
「ラクシュミーヴァーン(लक्ष्मीवान् [lakṣmīvān])361番目の名前」
そんな人とは良い関係を保って、お願いを聞いてもらったり、
悩みを聞いてもらったりもしたいですね。
その方法が「祈り」です。
バガヴァーンは「全て」なので、あなたの祈りはバガヴァーンの表れでもあるのです。
ヴィシュヴァ(全宇宙の)ルーパ(形として)・ダルシャナ(姿を見せる)の図。 炎に飛び込む蛾のように、ありとあらゆる者が破壊されるのを見て、 恐れおののくアルジュナ(左下)。 右下は、クリシュナに普通の姿に戻ってもらって喜んでいるアルジュナ。(ギーター11章51節) |
どのようにしてバガヴァーンが全てなのか?
地球が軌道に沿って回っている。水は100度で沸騰し、0度で凍る。
私は愛されると嬉しいし、けなされると悲しい。
これらの物理学的、生理学的、心理学的といった全ての法則の知識は、
全てバガヴァーンのものであり、寸分の狂いも無く、ただ現れ続けます。
「サルヴァッニャ(सर्वज्ञः [sarvajñaḥ])453番目の名前」
祈り続け、もっと知り続けると、
あなたとバガヴァーンの間の距離が0(ゼロ)であることに気付きます。
「ヴィシュヌ、あまねく浸透する者(विष्णुः [viṣṇuḥ])2番目の名前」
何にどれだけ頼れるのか?
頼りになるもの、安心させてくれるものとは何でしょうか。
お金、人間、会社、政府、権力、、、
それらは、あればあるだけの便利性と安心を与えてくれます。
しかし、それらには全て限界があるということも知っています。
もしそれらが100%頼りになるものだと信じていたとしても、
遅かれ早かれ、それらの限界を思い知らされる出来事に見舞われます。
人生と言うものは、そういう教訓を与えてくれます。
それを教訓と受け止めずに同じ失敗を繰り返すのも人間ですが。
頼るべきでないものに頼っているから問題は続く
お金も人間も、全てには限度があります。
1万円のお金は、1万円分は頼りになりますが、10万円分の頼りにはなりません。
1人の人間は、その人の優しさ分だけは頼りになりますが、
スーパーマン分の頼りにはなりません。その人だって誰かを頼りにしているのです。
限界のあるものに、100%寄りかかろうとするのは、
発泡スチロールで出来た柱に全体重をかけて寄りかかっているのと同じです。
本当に頼るべきもの
しかし、何かを頼りにして、安心出来る支えがないと、
私達は精神的に健康に生きていけません。
お金でも人間でも何でも、頼れるものには頼るべきだけれども、
それぞれの限界をきちんと知っておく。
お金はそれ以上でもそれ以下でもない。
人間もそう。
その限界を作っているのは?
お金がお金であるという、原理とその知識。
とても複雑に出来ていて、それゆえに限界だらけの人間の身体と心。
それは生物学的、心理学的知識の塊です。
バガヴァーンの絶対不確実性を理解して、はじめて本当のリラックスがある
人間や社会に絶対確実性を求めることは出来ません。
しかし、この不確実性を作っている、あらゆる法則の集まりである全知識は、
絶対確実性のもとに作用しています。
手から離れたりんごが絶対確実に落下するように。
この絶対不確実な法則の全知識「サルヴァッニャ(453番目の名前)」が、
バガヴァーンなのです。
このようにして、バガヴァーンというものは認識するものなのです。
祈りの文化、それは個人一人ひとりが考える為の知識の文化
幾多の神々の幾多の姿、サンスクリット語の幾多の名前、
それらはひとつひとつには全て、説明すれば終わりが無いほどの知識が詰まっています。
それを紐解き、意味を深めるのが祈りのある生活です。
ただただ迷信的に偶像を崇拝しているのでは無いのですよ。