2014年8月30日土曜日

5.神様とは? 信じるか信じないかを決める前に、神様の定義をはっきりさせましょう。

神様はいるのか?


「祈る」という行為を伝える時に、

一番最初の障害物は、「神様なんか信じないから祈れない」です。

「見えるものしか信じない」というのは、現代人としてもっともの考え方です。


いる・いないはどうやって決めるのか


しかし、実際に肉眼を通して見えていない物でも、

(顕微鏡や望遠鏡を通しても、結局は肉眼を通して見ています。)

科学的に証明されているものであれば、現代人はすんなり受け入れています。

例えば、DNAとか、素粒子とか、恒星までの距離とか、ブラックホールとか、、、

これらは、顕微鏡や望遠鏡を通しても、実際に見えないけれども、

セオリー(理論)として、実験を通して証明できるものなので、

見えなくても「ある」ものとして受け入れられています。


神様は信じるものでは無い


では、神様はどうなんでしょうか?

「神様は見えないから、信じるしかない」というのが通説です。

しかし、そうなんでしょうかね?

きっちり考えてみませんか?


「神様は見えない」って言うけれども、

その発言は、まず神様がどんなものが知られている事が前提になっていますね。


神様って、こんな感じで天国にいる!

といった想像が先にあります。


こんな勝手な想像をベースとして、

その像が見える見えないという基準で、

私達は、神の在る無しを決めているのです。


天国って場所はどんなところなのか、

天国も目で見えないし、

有るとも、そして、無いとも、証明出来ません。。。

信じるしか無いのですね。。。



「見えるもの、理論で証明出来るものしか信じられない」という現代人には、

神様なんて、信じるのは無理!ですね。

じゃあ、神様に向かって「祈る」のも無理?

そんなことはありません。なぜでしょうか?


今見えているものの全て、自分の知覚で知り得るもの全て、

そして、理論で知り得るものの全て、

さらに、自分の知覚や頭脳の制約ゆえに知り得ないものも全部、全て、

この宇宙の広がりの中に在るもの全て、

気の遠くなるくらい長い過去の時間にも、現在にも、そして未来の時間にも、

永遠に続く時間の流れの中に在るもの、それら全て、、、

その全てを想像してみてください。

もう、想像を絶しますが、想像を絶するということは認識できます。

この宇宙の「全て」は、肉眼や顕微鏡や望遠鏡では見えないけれども、

理論的に在る物として捉える事が出来ます。

そこに迷信も信仰心も何も必要ありません。

必要なのは、客観的な認識力だけです。

この「全て」という実体、在るもの、私達が見たり経験したり出来るもの、

その「全て」に名前を付けて見ましょう。

インドでは、この「全て」に「イーシュワラ」という名前を付けています。

インドには、「イーシュワラ」の他にも、何千という名前が、

この「全て」という実体に付けられています。

「イーシュワラ」を直訳すると、「(全ての在り方を)支配している者」になります。

意訳すると「神様」です。

私達が実際に、見たり、感じたり、経験したりしているもの全てなので、

それは「在る」と言えます。

ヒンドゥーの神様は、その「在る」ものの総称です。

絶対的に客観的な考えで捉える「神様」とは、

想像したり、まるまる信じたり、信仰の対象では無いのです。

「イーシュワラ」は、信仰ではなく、理解する為の対象です。

祈りに必要なのは、信仰心では無く、客観的に理解出来る頭脳が必要なのです。

祈ることにより、さらに客観性と理解が増すのです。

「イーシュワラ」つまり、この宇宙の全ての在り方の理解には、

客観性のある頭脳が必要なのです。


「この宇宙の在り方、なんて大それた物には興味ないんだけど!

人間関係とか、経済的問題とか、不安とか、不満とか、

このどうしようもない、自分の心の苦痛をどうにかしたいだけなんだけど!」

というのが、普通の個人です。

苦痛だらけの心も、この宇宙の全ての在り方の表れとして、

深く思いやりを持って理解してあげられるとき、

その人は、客観的であり、その人の重荷は軽くなります。


この宇宙の全てを、イーシュワラと呼ぶなら、

私達の経験の一瞬一瞬、全てがイーシュワラなのです。

幸せな時も、不幸な状況も、苦痛を感じている心も、全てがイーシュワラの現われなのです。

物理的、生理学的、心理学的法則などの全ての法則に沿って、

不幸な状況が生じたり、心が幸せや苦痛を感じたりしているのです。

物理的、生理学的、心理学的法則などの全ての法則も、全てはイーシュワラの現れです。

この宇宙に遍在する全ての法則は、「イーシュワラの法則」と呼ぶ事も出来ます。

全ての出来事、全ての経験は、「イーシュワラの法則」沿って、ただただ現れているだけです。

私に起きる全ての出来事や経験は、イーシュワラの法則によって生み出されるのなら、

私の願いが反映されるように、イーシュワラに対して「祈る」ことが出来ます。

「全て」がイーシュワラなのですから、

私の心や言葉や願いは、イーシュワラに包括されているのです。

私の体も心も、苦痛や幸せや、願いも全て、イーシュワラの法則の範囲内なのです。

イーシュワラというなの「全て」に包括されている私の心や言葉や願いが、

聞き届けられるかどうかを心配する必要は無いのです。

「祈り」は行為である事から、必ず結果を生みます。

手を叩けば、音が出るように。





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関連記事:8.ईश्वरः [īśvaraḥ] - イーシュワラ

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