日本で普通に生きて来て、
「祈る」という言葉を聞いた途端、すぐに出てくるのは、
「宗教的」「信仰的」「迷信的」「非現実的」「他力本願」「無力」「無責任」
といったイメージでしょう。
私もそのようなイメージを持っていました。
日本とアメリカで、SE、PG、ソフトウェア・エンジニアとして働き、
バリバリと実用主義を闊歩してきた私にとって、宗教や祈りといったものは無縁でした。
2006年にインドの聖地、リシケシを一旅行者として訪れ、
そのままインドに居つくようになって以来、
「祈る」という行為は、毎日私の生活の中にあります。
祈りが私を成長させてくれ、
また、私の祈りも成長しました。
「祈り」と共に成長してきた私の理解を、皆さんとシェアしたく、
このブログを始めました。
私の言葉が、自己と世界の理解をより明るくできますように。
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