2015年3月30日月曜日

チャンドラーヤナ(चन्द्रायणम् [candrāyaṇam])

タパス(自制行為による祈りの方法)の中でも、

一番強力と言われるのが、「チャンドラーヤナ」と呼ばれる断食方法。


マハーバーラタでも、シャンカラーバーシャでも、

極端な「プラーヤスチッタ(パーパを中和する方法)」として出てきます。

彼らの視点で極端なのだから、現代人の私達が気軽に真似できるものでは無いのでしょうね。


内容はこんな感じです。

満月の日から始める。 食べる量は普段と同じ。

普段の量を15で割った量を把握します。

満月から1日目    15分の14を食べる

満月から2日目    15分の13を食べる

満月から3日目    15分の12を食べる

… このように15分の1ずつ減らしていく

満月から14日目   15分の1を食べる

新月の日       完全断食(水だけ)

新月から1日目    15分の1を食べる

… このように15分の1ずつ増やしていく

満月の日       普通の食事



という内容らしいです。


あくまでも、こういうのが文献にある、という話です。

読者に実行をお勧めしているわけではありませんからね~。私はお勧めしません!

実施したければ、お医者さんに相談して、ちゃんとアドヴァイスに沿ってくださいね。


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2015年3月20日金曜日

ヴィシュヌ・サハッスラ・ナーマ・ストートラムについて

विष्णुसहस्रनामस्तोत्रम् [viṣṇusahasranāmastotram]

ヴィシュヌ・サハッスラ・ナーマ・ストートラムとは


ヴィシュヌ神の1000の名前を、

108のシュローカにまとめたストートラムです。

北インドでも南インドでも、インド全国で広く愛されているストートラムです。

こちらのアシュラムでも、プージャスワミジの健康を祈って、

持続の象徴であるヴィシュヌのストートラムを毎晩チャンティングしています。

また、エーカーダシーの日にもお勧めです。

発音が難しいストートラムですが、聞くだけでも効果があります。



どうして1000もの名前が一人の神様にあるの?


なぜなら、「神様」というものに対する勘違いが、1000も、

というよりは、数え切れないほど沢山あるからです。


全てはひとつのバガヴァーン


ヴィシュヌも、シヴァも、ドゥルガーも、ガネーシャも、

全ての神々は、一つのバガヴァーンの現われです。

この宇宙そのものが、あなたの身体と心も含めて、

一つのバガヴァーンの現われなのです。

このバガヴァーンを正しく理解する為に1000もの名前を使って

教えてくれているのが、ヴィシュヌ・サハッスラ・ナーマ・ストートラムなのです。

逆に言うと、このようにわざわざ教えられるということは、

この宇宙全体について、そして自分達がどう宇宙と関わっているのか、

ということについて無知があるということです。


なぜバガヴァーンについて知ろうとするのか?


私達は、誰かと関係を深めるとき、その人について知ろうとします。

その人について知れば知るほど、その人とどういう関係を結ぶべきなのかがわかり、

そして、良い関係が深まります。

隣に住んでいて、毎日顔をあわせているけど、素性をぜんぜん知らない人がいたとします。

知らないうちは挨拶程度だったけれども、

何かのきっかけでその人のことを知ることになりました。

実はその人は大資産家で、世界中、いや宇宙中の富と資源の持ち主だった。
「ヴィシュワ(विश्वम् [viśvam])1番目の名前」
「ラクシュミーヴァーン(लक्ष्मीवान् [lakṣmīvān])361番目の名前」

そんな人とは良い関係を保って、お願いを聞いてもらったり、

悩みを聞いてもらったりもしたいですね。

その方法が「祈り」です。

バガヴァーンは「全て」なので、あなたの祈りはバガヴァーンの表れでもあるのです。


ヴィシュヴァ(全宇宙の)ルーパ(形として)・ダルシャナ(姿を見せる)の図。
炎に飛び込む蛾のように、ありとあらゆる者が破壊されるのを見て、
恐れおののくアルジュナ(左下)。
右下は、クリシュナに普通の姿に戻ってもらって喜んでいるアルジュナ。(ギーター11章51節)

どのようにしてバガヴァーンが全てなのか?


地球が軌道に沿って回っている。水は100度で沸騰し、0度で凍る。

私は愛されると嬉しいし、けなされると悲しい。

これらの物理学的、生理学的、心理学的といった全ての法則の知識は、

全てバガヴァーンのものであり、寸分の狂いも無く、ただ現れ続けます。
「サルヴァッニャ(सर्वज्ञः [sarvajñaḥ])453番目の名前」


祈り続け、もっと知り続けると、

あなたとバガヴァーンの間の距離が0(ゼロ)であることに気付きます。
「ヴィシュヌ、あまねく浸透する者(विष्णुः [viṣṇuḥ])2番目の名前」


何にどれだけ頼れるのか?


頼りになるもの、安心させてくれるものとは何でしょうか。

お金、人間、会社、政府、権力、、、

それらは、あればあるだけの便利性と安心を与えてくれます。

しかし、それらには全て限界があるということも知っています。

もしそれらが100%頼りになるものだと信じていたとしても、

遅かれ早かれ、それらの限界を思い知らされる出来事に見舞われます。

人生と言うものは、そういう教訓を与えてくれます。

それを教訓と受け止めずに同じ失敗を繰り返すのも人間ですが。


頼るべきでないものに頼っているから問題は続く


お金も人間も、全てには限度があります。

1万円のお金は、1万円分は頼りになりますが、10万円分の頼りにはなりません。

1人の人間は、その人の優しさ分だけは頼りになりますが、

スーパーマン分の頼りにはなりません。その人だって誰かを頼りにしているのです。

限界のあるものに、100%寄りかかろうとするのは、

発泡スチロールで出来た柱に全体重をかけて寄りかかっているのと同じです。


本当に頼るべきもの


しかし、何かを頼りにして、安心出来る支えがないと、

私達は精神的に健康に生きていけません。

お金でも人間でも何でも、頼れるものには頼るべきだけれども、

それぞれの限界をきちんと知っておく。

お金はそれ以上でもそれ以下でもない。

人間もそう。

その限界を作っているのは?

お金がお金であるという、原理とその知識。

とても複雑に出来ていて、それゆえに限界だらけの人間の身体と心。

それは生物学的、心理学的知識の塊です。


バガヴァーンの絶対不確実性を理解して、はじめて本当のリラックスがある


人間や社会に絶対確実性を求めることは出来ません。

しかし、この不確実性を作っている、あらゆる法則の集まりである全知識は、

絶対確実性のもとに作用しています。

手から離れたりんごが絶対確実に落下するように。

この絶対不確実な法則の全知識「サルヴァッニャ(453番目の名前)」が、

バガヴァーンなのです。

このようにして、バガヴァーンというものは認識するものなのです。


祈りの文化、それは個人一人ひとりが考える為の知識の文化


幾多の神々の幾多の姿、サンスクリット語の幾多の名前、

それらはひとつひとつには全て、説明すれば終わりが無いほどの知識が詰まっています。

それを紐解き、意味を深めるのが祈りのある生活です。

ただただ迷信的に偶像を崇拝しているのでは無いのですよ。




祈りのステップの目次 >>

2015年3月8日日曜日

ホーマ होमः [homaḥ]

ホーマとは、

ヴェーダの経典のカルマの部分で教えられている、

火を焚いて、その中にギー(精製バター)や穀物などの捧げものを、

特定のマントラを唱えながら捧げるという形の儀式です。


デーヴァターの中で一番足の速い、アグニ(火)・デーヴァターは、

捧げもの配達人です。


ヴェーダの儀式に特化した勉強を修めた祭司達に依頼して、

自分の要望や生まれた星のチャートにそって、儀式とその日程を決めてもらいます。


以下は、一般的に行われているホーマとその概要です。

ガナパティ・ホーマ(障害物を取り除いて目標達成)

ナヴァッグラハ・ホーマ(それぞれの惑星からのブレッシングを得て目標達成)

アーユッシャ・ホーマ(長寿、無病息災)

ムリッティユンジャヤ・ホーマ(健康を祈る)



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プージャー (पूजा [pūjā])

プージャーとは、

インドの家庭やお寺で毎日行われている儀式のことです。

このような儀式は、自分とイーシュワラ(全体)との関係を築くのに役立ちます。

人生を通して自分とイーシュワラの関係を築きながら、

「自分という一見小さな存在は、全体という巨大な存在と、

どの観点においても離れた別の存在ではない」

という認識をより明確にしていくのです。



この儀式は、祭壇をイーシュワラを呼び起こす場所と見立て、

清水、花、お香、ハンドベル、チャンティングなどを捧げながら、

心、体、感覚、全て使ってイーシュワラに感謝を表し、

「grace(恩恵)」を授かる一連の行為です。




この宇宙の全てを指して「イーシュワラ」と呼びます。


イーシュワラとは世界の全てなのですから、

実際は何時でも何においても、誰でもイーシュワラと離れることはないのです。

しかし、このイーシュワラを常に認識するためには、

イーシュワラの知識と理解が必要です。

ヴェーダが教える生活様式とは、全ての行動や現象において

「イーシュワラ(宇宙の全て)と自分は一体で、何においても離れていない」

という、イーシュワラと個人との関わりを正しく認識する為にあるのです。


毎日の生活習慣の中でも特にプージャーは、イーシュワラを認識する為に特化した行為です。


家でのプージャー・ルームの祭壇の飾りつけの例


プージャーにもいろいろな種類があります。
毎月私が欠かさず寺院でお願いしているプージャーを紹介します。
お願いするとは、お礼を渡して、サンカルパのときに私の名前と願いを入れてもらうということです。

サンカタハラ・チャトルティ・プージャー


地域によって異なりますが、満月または新月から、月齢4日目の夕方に行われるプージャーです。

障害物を司るデーヴァター「ガネーシャ」にマントラや清水などを捧げて

さまざまな願いを達成しようという、祈りの行為です。


プラドーシャ・プージャー


満月と新月から数えて、それぞれ月齢11日目の夕方に行われるプージャーです。

シヴァ神にアビシェーカ(聖油、清水によるお風呂とその後の飾りつけ)などを捧げて、

グレース(恩恵)を授かろうとする祈りの行為です。



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8.サンカルパ(सङ्कल्पः [saṅkalpaḥ])

サンカルパとは


何かしらの行動を起こす前に、

「私は今から、~を達成させる為に、~をします」と

はっきりと心で決めて自分に宣言することです。

なんだ、それだけか、と思うかもしれませんが、

サンカルパをするかしないかで、大きな違いが生まれるのです。

サンカルパをしているところを、
サーマヴェーディのブランマチャーリーに再現してもらいました。
ガネーシャのテンプルは、子供達が自主的に建てたんですよ。
そんなことを思いついて自分達で行動を起こす子供達!
その純粋な心に、いつも尊敬を覚えます。


祈りにおけるサンカルパ


さまざまな行為の中でも、祈りという行為では、特にサンカルパが重要です。

エーカーダシーをする時、プージャーをする時、シンプルに祈る時、

サンカルパをはっきりさせる習慣をつけましょう。


自由意志を与えられているのが人間ですが、

この世知辛い世の中で生き延びる為に、

「不本意ながらもこうしないと」と選択の余地が与えられないプレッシャーにさらされて、

いつでも自由意志を100&使えるわけではありません。

サヴァイヴァル・モードが高くなれば高くなるほど、

自由意志の自由度は低くなります。

しかし、祈りという行為は、そんなプレッシャーがありません。

祈りという行為において、自由意志の自由度は100%なのです。


祈りのサンカルパ


1.皆の為のサンカルパ

2.より特定的なサンカルパ


2つとも大事です。

特に、自分自身の精神的な成長をサンカルパにして祈ることが一番大事です。

どんな行為でも、「これは自分の成長の為」というサンカルパで行えば、

見た目の結果はプラスであれマイナスであれ、どうであっても、

「自分の成長」は必ずプラスにしかならないからです。


最優先価値が「自分自身の精神的な成長」である時、

家庭や社会の義務への態度が満足から現われるようになり、

失うものは何もなく、デーヴァター達も邪魔できません。

雨が降ろうと槍が降ろうと、私は成長するのですから。




辞書を引いてみた


ハラーユダ・コーシャというサンスクリットToサンスクリット辞書を引いてみると、、、

最初に開いたページに発見!ラッキー!

サンカルパ(सङ्कल्पः [saṅkalpaḥ])とは、、


説明1.

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
मानसं कर्म ;「心でする行為」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

そう、サンカルパとは、何を隠そう、行為なのです。
だから必ず結果を生むのです。



説明2.

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
मनसा सङ्कल्पयति, वाचा अभिलपति, कर्मणा चोपपादयति इति हारीतः ।
「心でサンカルパ(決意)をし、
言葉で話し、
行動で実現する。」
(ハーリータ・ダルマ・スートラ)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

これは、3種類の行為を反映しています。

この宇宙の現われは、以前のカルマ(行為)の現われです。

サンスクリット語で「人間(マヌッシャ)」の定義は、

「自由意志を使って、心と言葉と身体を使って行為する意識体」のことです。

別に地球人である必要はありません。



説明3.

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
सङ्कल्पेन विना राजन् यत्किञ्चित्कुरुते नरः ।
फलं चाल्पाल्पकं तस्य धर्मस्यार्द्धक्षयो भवेत् - इति भविष्यपुराणे ॥

「サンカルパをすること無く行動した場合、
(目に見える)結果はとても少なく、
プンニャ(目に見えない結果)も半分無駄になるだろう。」
(バヴィッシャ・プラーナ)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


言葉を発したり、身体を使って行動したりするのも、

まず先に人間の頭で考えて、そのアイディアが言葉や身体を通して物理的に現われるのです。

ゆえに、自由意志を使って意識的に「思考を使う」=サンカルパをする

ということは、人間としてとても大事なのです。

反対に、サンカルパをしないということは、

自由意志を使わずに、脳みその科学的反応だけで機械的に発言・行動しているということです。

人間の特権である自由意志を使いこなせていないので、、、

まぁ、そんな人が殆どというのも事実で、

だから、サンカルパの大切さが教えられているのです。


どんなに思考能力や学歴や高い人ても、

この「サンカルパ」という行為は、意識しないと出来ません。

人間、機械的にでも複雑なことを考えられるものです。

そして、無意識的で幼稚な欲求から、理論を曲げてしまうのです。




サッティヤ・サンカルパとは


その人が考え事が全て実現してしまう人のことを、サッティヤ・サンカルパと呼びます。

18年間、その人の「考え」と「言葉」と「行動」全てを一致させて生きると、

その人はサッティヤ・サンカルパになると言われます。

もちろん、その人の考えは、ヴェーダなどの聖典の文献が教える価値感がベースになっていなければなりません。

そんな人は滅多なことは考えないでしょうし、

ましてや嫉妬やコンプレックス、不満とは無縁でしょう。

嘘もつく必要はないし、行動は全て、皆の幸福の為にされるわけですから、

その人のサンカルパの実現に必要なサポートは、

人間からもデーヴァターからも与えられるでしょう。

そんな人がサッティヤ・サンカルパなのだと思います。



サンカルパ・シャクティ


いままでに見たとおり、人間の目標達成の源は、はっきりとしたサンカルパです。

思ったことを実現させる力を、サンカルパ・シャクティといいます。

祈り以外の行為でも、実生活のさまざまな行動でサンカルパ・シャクティを使うべきです。

言葉や行動を意味のあるものにするのがサンカルパだからです。

コツは出来るだけ短い時間内の行動において、はっきりした目標を立てることです。

「家から駅まで歩く間に、これだけのシュローカを憶える」

「この1時間、集中して、先生の言葉も言いたいことも気持ちも、全部受け止める」

といった感じです。

これがボヤけていると、ぼんやりしたまま、あまり何も達成出来ずに年月が過ぎていくものです。


最近見かける「ドリームノート」や「新月のデクラレーション」とかも、

このサンカルパ・シャクティを、現代人の為に利用しやすくしたものなのでしょうかね。


あと、「今日から絶対怒らない。怒るのを辞めます」というようなサンカルパは

サンカルパ・シャクティを無視しているので、実現しないどころか余計に問題を増やします。

怒りは状況に対する心理的な機械的反応です。怒りを覚えること自体に私達の選択はありません。

コップから手を離せば落下するのと同じ原理です。

「コップが落下しませんように」というサンカルパをしているのと同じくらい愚かな事なのです。

しかし、「怒った時に、当事者と周りの人に対して、

言葉や行動で傷つけることを、どんなに微細なレベルでもしないようにします」

というサンカルパはとても実用的で、周りの人間や動植物に対してはもちろん

自分に対しても非常に有益なサンカルパです。




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2015年3月7日土曜日

7.どのように祈るのか 3つの祈りのタイプ

祈りを表す為の行為にはいろいろな種類があります。


大きく分けて3つありますが、全てはサンカルパが大事です。

祈りをする前、行動をする前、エーカーダシーをする時には、必ずサンカルパをしましょう。


1.自分でする祈り


・ 日々の祈り

  毎日祈る時間と場所を決めて、心を使って祈るという行為。
  祈る時間は朝と夕方の入浴後でなおかつ食前が良いとされています。
  祈る場所は、家に祭壇を設けたり、お寺や神社に毎日通ったりするのもよいですが、
  自分の部屋に清潔で静かな一部分があれば、そこから始めてもよいでしょう。
  

祈りをする時間と場所は決まっていても、
毎日祈っているうちに、生活そのものが祈りとなり、
自分が行う、全ての思考や言葉、行為が、
「プレーヤーフル(祈りのこもった)」ものとなるのですよ。


・ エーカーダシー

  新月から11月齢目の日と、満月から11月齢目の日にする断食です。
  断食は「ウパヴァーサ」と呼ばれ、イーシュワラの近く(ウパ)に、
  心を置く(ヴァーサ)という意味です。そのように過ごしましょう。
  断食といっても、何を摂取するかしないかは地域や個人によって大きく異なります。
  インドでは一般的には、水、フルーツ、断食用の食事(!)は摂取します。
  断食用の食事とは、ジャガイモ、タピオカ、ウオーターチェスナッツ、岩塩などです。
  食事をしないで済んだ時間は、ジャパなどをする為に使います。
  モウナムやガンガー沐浴にも適した日です。
  祈りや勉強に集中できる良い日です。
  翌日の朝食は、ヴィシュヌの祈りを捧げた後に必ず食べます。


2.イシュタ(祈りの儀式)


・ プージャー(祈りの儀式)
  自分で家や職場でも出来ます。
  もちろん、寺院で祈祷を頼むことも出来ます。

・ ホーマ(火の儀式)
  ヴェーダで教えられている儀式の手順に従って執り行われる儀式です。
  小さなものなら個人でも出来ますが、通常は祭司に依頼して執り行ってもらいます。



3.プールタ(慈善行為)


・ サドゥー、ヴェーダを勉強する人、聖地巡礼者などに対する寄贈
  
・ 学校、水飲み場、バス停などに屋根をつけることなど、社会に役立つ寄贈

・ お寺や神社に寄贈したり、新しくお寺や神社を建ててもらう為の寄贈
  


祈りの国インドでは、イシュタ(儀式的な行為)とプールタ(慈善行為)が、
全国で毎日様々な規模で、お金持ちから貧乏な人によってまで、
多くの人々によってなされています。

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